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作品に関するお知らせ

『スペース☆ダンディ』を観ていると――優れたアニメーション作品を観るときには、いつも感じることなのだが――アニメはもっともっと自由であってもいいのだ、と思う。総監督を務める渡辺信一郎が、旧知の仲である制作スタジオ・ボンズの南雅彦(プロデューサー)とタッグを組み、2014年にオンエアされた本作は、新種の宇宙人を追い求めてさすらう宇宙人ハンターのダンディが、旧式のポンコツ掃除機ロボット・QTや猫のように見えて猫じゃない、ゆとり世代の宇宙人・ミャウらとともにドタバタ騒ぎを繰り広げる各話形式のSFスペースコメディ。「大宇宙を舞台に、はぐれ者チームが旅をしながら、各地で騒動を巻き起こす」というと、渡辺総監督の大ヒット作『カウボーイビバップ』を連想してしまうのだが、事実、この『スペース☆ダンディ』は『カウボーイビバップ』のヒネりまくった陰画というか、かの人気作を土台にしつつも、よりラディカルに、原型を留めないほどにチューンナップしたリミックス・バージョンとでもいった趣きがある。

あるエピソードではゾンビの群れに襲われ、また別のエピソードでは美麗な宇宙レーサーと過激なレースを繰り広げるダンディたち。かと思えば、次元が違う者同士による『ロメオとジュリエット(ハードSFバージョン)』が展開し、はたまた未開の惑星で幻の魚をかけたフィッシング・バトルが静かに幕を開ける。ときに笑えて、ときに頭を抱え、ときには涙なくしては観られない感動篇が綴られる。その振り幅の大きさは、よくある「バラエティ豊か」という宣伝文句を吹き飛ばしてしまうほどに過激、かつ意欲的だ。

次に一体、どんなモノが飛び出してくるか、わからない。その予測不可能ぶりにブーストをかけているのが、各話に参加している豪華なクリエイター陣。湯浅政明や谷口悟朗、山本沙代、タムラコータロー、三原三千夫、和田高明、名倉靖博など、それぞれ監督・演出家としてアニメーションの第一線で活躍する面々が各話演出・コンテとして参加。特に、湯浅が脚本・演出・コンテ・作画監督を手掛けた第16話「急がば回るのがオレじゃんよ」は、冒頭からラストカットにいたるまで、びっしりと湯浅監督節を詰め込んだ一本に仕上がっていて、強烈な印象を残す。また、銀河を支配するゴーゴル帝国の人型兵器(機動戦士)をかの大河原邦男が、ゴーゴル帝国と敵対するジャイクロ帝国の超大型ロボット兵器を樋口雄一がそれぞれデザイン。その衝撃的なビジュアルは、本作のクライマックスのひとつといっても過言ではない。

もちろん、ベテランたちの暴れっぷりばかりが『スペース☆ダンディ』の見どころではない。本作オンエア時には、新鋭~中堅だったクリエイター陣が数多く参加している点も大きなポイントだ。例えば、ゲストキャラクターとして登場する宇宙人のデザインを多数手がけた押山清高。シンプルな線とそこから広がるアニメーション本来の動きの快楽を徹底的に突き詰める、押山の魅力は、彼が脚本・演出・コンテ・作画監督を務めた第18話でも堪能できるが、その押山はこの夏、話題の映画『ルックバック』(藤本タツキ原作)が公開予定。また渡辺総監督のもとで、本作の監督を務めた夏目真悟は、この『スペース☆ダンディ』の後、『ワンパンマン』や『ブギーポップは笑わない』『Sonny Boy』といったユニークな作品群を世に送り出している。

また本作をきっかけに大きく飛躍したといえば、脚本で参加しているうえのきみこの存在は忘れることができない。ボンクラなダンディたちがハチャメチャな騒動を展開する本作がよほど肌に合ったのか、8本のエピソードで脚本を担当。本作の後も『クレヨンしんちゃん』シリーズやその外伝で、スラップスティックな持ち味を活かしたストーリーテリングを存分に発揮し、注目を集めた。また脚本でいえば、小説家として活躍する円城塔がいかにもSF畑出身らしい、思弁性の高いエピソードを2本担当し(第11話・第24話)、『スペース☆ダンディ』世界の広がりに一役買っているのも忘れがたい。

ほかにも、キャラクターデザインを手掛けるとともに、作画監督を務めた伊藤嘉之を初めとするアニメーター陣の活躍ぶり、あるいは岡村靖幸、やくしまるえつこ、牛尾憲輔、向井秀徳、難波弘之など、ジャンルの枠を越えてミュージシャンが結集した劇伴、各話ゲストとして参加した豪華キャスト陣の怪演ぶりなど、触れておきたいポイントは多い……のだが、残念ながら紙幅が尽きた(ネットの記事にもかかわらず「紙幅」とはこれいかに)。
とにもかくにも、「広大な宇宙」というトンでもなく大きな器に、シュールなギャグから難解なハードSF、さらには涙なしでは観られないメロドラマまで詰め込んで、アニメーションならではの面白さを徹底的に追求した本作。「アニメはもっともっと自由でいいじゃんよ?」。そんなダンディのつぶやきが聞こえてきそうな、必見の一作である。
文:宮 昌太朗
スペース☆ダンディ 公式サイト
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スペース☆ダンディ 公式X(旧Twitter)
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©2014 BONES / Project SPACE DANDY

多くのCGメカアクションの礎を築いた『マクロスゼロ』
「マクロス」シリーズ20周年作品として企画された『マクロスゼロ』は、シリーズとして初めてメカアクションに本格CGを導入し、大きな転機となった作品である。かつて「マクロス」シリーズといえば、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』『マクロスプラス』に代表されるように、手描きによる緻密なメカニックアクションの代名詞的作品だった。
それが一転してメカアクションをCGに置き換えたわけだから、当時のファンの間には様々な意見が交わされた。だが、監督である河森正治氏、特技監督である板野一郎氏は、それぞれ90年代初頭のアメリカへの取材を通じて、やがてアニメはCGに置き換わることを感じていた。当時、日本では数秒で1億円と言われたCGが、アメリカでは「安価だから」という理由で手描きからCGに置き換わっていたのだ。望むと望まざるにも関わらず、それは避けて通れない道だった。

とはいえ『マクロスゼロ』の制作がスタートした2000年代初頭は、CGアニメーションの黎明期。まだ、CGアニメーターという仕事すらも確立していなかった時代である。集められたスタッフたちは、アニメーションの考え方の根本から異なっていた。板野氏は彼らに日本の手描きアニメーション(ジャパニメーション)の基本的な考え方から見せ方を根気よくレクチャーし、氏が生み出した超絶アクションである「板野サーカス」も伝授した。
「たとえ絵が描けなくても、CGなら戦える」。それが板野氏の持論だった。絵が描けずにアニメーターを挫折した人も、CGという「絵筆」があればアニメーターとして戦うことができる。海外と比較して、予算も人員も乏しい日本の制作スタジオが勝つためには、ジャパニメーションの魅力を、CGで再現し、伝承していくことが急務であったと感じていたのだ。

重要なのは、それを受け取るCGスタッフ側の覚悟である。今でこそアニメにCGは欠かせないが、当時はまだCGアニメーションの未来すらわからない時代である。だが彼らは板野氏の教えに感銘を受け、乾いたスポンジが水を吸うようにジャパニメーションのノウハウを自分のものにしていった。当初は板野氏や、アニメーターが描いたラフ原やキーフレームを元にCGスタッフは作業を行っていたが、その成長は目覚ましく、終盤の章はCGスタッフが完全に独自にシーンを構築するまでに至ったのである。
驚くべきは、そうした状況下であるにもかかわらず、『マクロスゼロ』のメカアクションは、現在の視点でもまったくクオリティに遜色がないことだ。第一章の大雲海での遭遇戦、第二章の渓谷でのフォッカーとイワノフの戦闘、第三章の空母アスカへの襲撃、最終章の鳥の人との激戦……。「マクロス」シリーズのなかでも、屈指のメカアクションを実現しており、戦闘の比重が非常に高いことをうかがわせる。

「マクロス」シリーズには、三種の神器と呼ばれる構成要素がある。それは歌、三角関係、可変戦闘機(戦闘)だが、その比重は作品によって異なっている。『マクロスゼロ」は、当初は戦記物として企画された背景や、マニアック層が中心のOVAという媒体も踏まえ、「戦闘」に特化した「マクロス」として誕生した。およそ考えられるバルキリーのアクションを盛り込んだ各エピソードは、「可変戦闘機の戦いとはこういうものだ」ということを印象付ける。
また、当初はCGにトゥーンレンダリングを採用することが予定されていたが、一転して天神英貴氏によるイラスト的なテクスチャを採用したことも英断だった。まだCGは技術的な過渡期にあった時代である。CGの技術的な表現に依存すると、時代性を反映した映像になってしまう可能性があった。だが『マクロスゼロ』は天神氏のイラストタッチを採用したことで、時代性に左右されない不変的な映像となった。その美しさは、AIリマスターが施された「マクロスゼロ Blu-ray Box プレミアムリマスターEdition」でさらに際立つものとなっている。
『マクロスゼロ』で培われたノウハウは、その後、河森監督作品である『創聖のアクエリオン』や『マクロスF』を通じて、アニメ業界にCGメカアクションの方向性を示すこととなった。一方、『マクロスゼロ』で育ち、板野氏に「免許皆伝」と認められたスタッフ……unknownCASE(加島裕幸氏、崎山敦嗣氏)や、のちにサテライトCG部を牽引した橋本トミサブロウ氏、八木下浩史氏、原田丈氏といったメンバーは、様々な制作現場で活躍するだけではなく、今度は教える立場として後進の育成にも尽力。板野氏が育んできた「マクロスの遺伝子」は、現在もCG業界へと波及し続けている。『マクロスゼロ」は文字通り「ゼロ」からCGによるジャパニメーション表現を確立し、現在に続く「マクロス」シリーズや、多くのCGメカアクションの礎を築いた作品となったのである。
文:河合宏之
▼マクロスシリーズ ポータルサイト
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©2002 BIGWEST/MACROSS ZERO PROJECT

TSR.2MS、ブラスト・オフ! 「美少女×ミリタリー」アニメの夜明け。

本作は、発表当時最初のキービジュアルで、それまで相容れられなかった軍事マニアと美少女アニメを見事に融合してしまった。というのも、そこには主人公たちが駆るブリティッシュ・エアクラフト社の試作攻撃機「TSR-2」が描かれていたからだ。この機は、1960年代にイギリスの試作機で、核搭載可能な低空侵攻型の戦術攻撃偵察機として開発計画が進められた。開発予算が大幅に超過したこともあり、時の労働党政権により計画がキャンセルされてしまったが、その先進性は航空機マニアを魅了し、かなりマイナーな機体であるにもかかわらず、根強いファンが存在するのである。
そんなカルト機を主役においたことで、航空機ファンの注目を浴びる事となり、挙句には、海外の模型メーカーがプラモデルとして発売するまでに至ったことは、ミリタリーファンには周知の事実だろう。

登場メカニックに関しても、タイトルになっている本作オリジナル機ストラトス・フォー(本来の名称はストラトス・ゼロ)を差し置き、TSR-2(劇中仕様は本シリーズオリジナルの改良機、TSR.2MSとなる)以外にも、練習機として旧ソ連の超音速防空戦闘機Yak-28、『ストラトス・フォー アドヴァンス』では、TSR.2MSに代わり、旧ソ連のMIG-31戦闘機(この機体の設計母体となったMiG-25は、1976年に日本に亡命した事件で有名。その上、このMIG-31は実際の登場前、1982年の映画『ファイヤーフォックス』では実機とは異なる近未来の架空の戦闘機として描かれたのは、飛行機映画好きの記憶に残る)を出してくる上、1950年代のイギリスの計画機・ヴィッカース・アームストロング社のタイプ559などという計画機(実際には作られなかった)まで持ち出し、アメリカ空軍でB-52 爆撃機との競作機として作られたYB-60ジェット爆撃機に懸下して出撃するといった映画『ライトスタッフ』(1983)をオマージュしたドラマまで繰り広げ、飛行機好きを驚喜させた。

MIG-31戦闘機

タイプ559
が、さらに驚くのは、劇中での徹底的にマニアックな航空機描写だ。登場キャラクターたちの、専門的な航空&軍事用語を多用したセリフ、航空管制のやりとりからレーダーモニター表示に至るまで、かなりリアルな表現を使っているのである。当然、航空機自体の詳細なディテールは勿論、稼働時のプロセスにも余念がない。(輸送起立発射機によるゼロ距離発進まで採用するという凝りよう)

今でこそ、『ガールズ&パンツァー』(2012)や『艦隊これくしょん-艦これ-』(2013)といった作品の登場によって、アニメファンとミリタリーオタクが両立され、その知識を語ることに違和感もなくなったが、本シリーズ発表当時はまだまだ“カタブツ”だったミリタリーマニアが美少女アニメを観る等ということは、プライドが許さなかった時代であり、本作のリアルな描写が正統に評価される機会に恵まれていなかった点は残念でならない。(この頃の一般のオタク知識では、決して本作について行けるまで至らなかった…汗)
とはいえ、専門的な知識がなくとも、山内則康氏の描く主人公たちをはじめとした美少女たちは、『AIKa』(1997)、『ナジカ電撃作戦』(2001)同様、そのルックスや明朗快活なキャラクター、さらには健康的なお色気もあり、多くのファンを生み出した。これは、重くなりがちな人類と地球外生命との遭遇を扱うSF作品としては、異例なほどのライトさを醸し出し、お気楽そうに見えて深い内容を秘めた快作として本シリーズを昇華させた一因と言えるだろう。尚、山内氏は本作でメカニックデザインも担当している。

また、そんなキャラクターたちが活躍するドラマも、地球に次々と迫りくる彗星群迎撃に骨子を置きながら、その中に謎の地球外生命による感染、それに伴う天体危機管理機構上層部の暗躍といった展開が添えられているが、宇宙人や怪物といった安易な対象ではなく、映画『アンドロメダ…』(1971)を思い起こさせる、ウイルスのような目に見えない存在としての地球外生命というのも新鮮且つ現実味のある設定であった。

そうした本シリーズを軽快且つスケール感を持って支えているのが、サウンドトラックである。快活でPOPなノリで、主人公たちの元気さや心情を表す一方で、緊迫する彗星迎撃シーンなどでは、宇宙という広大な舞台にふさわしいフルオーケストレーションによる音楽が観る者を緊迫感に包む。その楽曲を担当したのが、OVA『ジャイアントロボ THE ANIMAITION -地球が静止する日-』で一躍脚光を浴びた天野正道氏であり、ワルシャワ・フィルハーモニー・オーケストラも参加していると聞けば、納得せざるを得ないだろう。中には、飛行機好きの琴線に触れるホルストの組曲『惑星』の「木星」や、映画『ライトスタッフ』のテーマ曲にインスパイアされたと思しき楽曲があるのも嬉しい。
そして、メロキュアが全作を通して歌い上げた主題歌や、主人公たちの心情を表した各挿入歌の数々も忘れてはならない。
発表から20年たった今、「美少女×ミリタリー」を大きく受け入れられるようになった時代になったからこそ観直し、その構築された世界観を今一度再評価しても良いのではないだろうか。
文:中村宏治
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アニメーション作画が醸し出す情愛と緊張の高まり
2000年6月3日に公開された映画『人狼 JIN-ROH』は、試写期間中に「セルアニメ最後の劇場用大作」と呼ばれていた。そんな歴史的背景をもつ作品である。
押井守原作・藤原カムイ作画の漫画「犬狼伝説」を元に、脚本は押井守、制作はProduction I.Gで、スーパーアニメーターとして知られる沖浦啓之の初監督作品となった。演出は神山健治、キャラクターデザインと作画監督は西尾鉄也、作画監督補は井上俊之、美術監督は小倉宏昌など、名だたる精鋭部隊が練りあげた珠玉のクオリティが、大きなみどころだ。
本作の物語は、押井守原作のオリジナルシリーズ「ケルベロス・サーガ」の一部を形成している。同シリーズは、第二次世界大戦中の日本が連合国側についた結果、戦後はドイツ軍に占領された平行世界の日本の昭和30年代中盤が舞台となっている。押井守自身が監督した『紅い眼鏡』(87)、『ケルベロス 地獄の番犬』(91)と2本の実写映画があり、本作も2018年、監督:キム・ジウンによって韓国映画『人狼』として実写映画化されている。
その「ケルベロス」とは、東京でテロ活動を繰り返す過激派集団に対抗するために結成された特機隊の通称だ。首都警警備部特機隊が運用する特殊装甲強化服プロテクトギア(初期デザインは出渕裕による)は、そのシンボルとして恐れられている。本来は日本の平和維持を目的として結成された特殊部隊なのに、その重武装ゆえ大衆から危険視され、さらに自衛隊、警察、公安など公的組織同士の暗闘の中で、やがて葬られていく悲劇性の高い組織劇だ。

三つの首を持つ地獄の番犬ケルベロス(ギリシア神話)の名で分かるとおり、押井守が象徴とし続けている「犬」の属性が本作『人狼 JIN-ROH』でも、重要な鍵となっている。たとえば主人公・伏一貴の「伏」は「人と犬」の文字を合わせたものである。人は恋愛などを含んだ俗世に属し、犬は主人の命令を受けて忠実に動く世界に属している。その両者の中で、伏はいったい何を考えてどこへ向かおうとしているのか。

彼の恋愛感情は異常な状況で芽生えたものだ。デモ隊と機動隊が大規模な衝突を展開している最中、プロテクトギアで出動した伏は地下通路で少女に出逢った。彼女はテロに使う爆弾を運ぶ「赤ずきん」と呼ばれる役割で、伏が射殺をためらったために自爆を敢行した。大きな被害が発生した結果、懲罰として養成学校の再訓練を銘じられた伏は、自爆した阿川の姉と名乗る女性・雨宮 圭と遭遇する。
橋の上で圭が風にふと髪の毛を押さえたり、小さな公園で滑り台を降りたりするカットでは、客観的な描写にもかかわらず、伏が彼女に好意を寄せ始めていることが、作画による情感から浮かび上がってくる。寡黙な伏は言葉が少ない。そして仕掛けられたトラップがどのような性質のものかも、明らかにはされない。言葉で明示されない分だけ、アニメーション作画で描かれた所作や表情の微細な変化が情感、情緒に高まり、みごたえが醸成されていく。特に散りばめられた情愛の描写中に、やがて訪れるであろう痛みと苦みの予感が刻々と高まっていくプロセスは、本作だけがもつ独特の味わいである。

本作は『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(95)の公開直後で、戦闘シーンもまた非常に見ごたえがある。プロテクトギアは、武装したテロリストに対して容赦なく発砲する。しかも大口径の機関銃で次々と人体を撃ち抜き、時に粉砕し、射殺していく。この無慈悲なバイオレンスと男女の機微が織りなすエロスとの対比もまた、「人と犬」のコンフリクトを描く本作ならではのものと言える。
さまざまな点で評価に値する作品ではあるが、場面写真を現在の目で見てしまうと薄味に感じられるかもしれない。本作制作中の1997年にアニメ業界は急速なデジタル化に舵を切り、デジタル画面処理が隆盛となった。現在では全盛となったその画面処理の多くが「お化粧」のようなものだとしたら、『人狼 JIN-ROH』とは「スッピン勝負」の作品に位置づけられる。つまり「手描きのセルと背景だけで、どこまでリアルさが表現できるのか」という挑戦であり、これが「セルアニメ最後の劇場用大作」のキーワードと合流して、本作の普遍的な価値を決定づけている。
本作の基本的な作法は「カゲなし作画」だ。表情のごく一部、プロテクトギアのパーツなど限定された部分だけ、カゲがついている。その本質は、陰影部分の色彩を暗めに指定することで、立体感を表現するものだ。ところが本作を見ればすぐわかるが、カゲがなくても豊かなアニメーション作画で動き出せば、充分に立体的に見えるのである。

むしろカゲ情報を「引き算」したことで「輪郭線と色面の遷移(アニメーション作画の本質)」はビビッドになり、キャラの内面にある感情や、風景と調和した存在感の伝達は、より確実になる。若いアニメファンは本作で、ぜひこの「アニメーションの本質」を体験してほしい。カゲつき作画もひとつの様式だから、否定するわけではない。しかし、もしアニメーション作画に興味があるのであれば、一度はその「作画の本質」がどういうものか、見届けていただきたいのである。
最後に本作のもたらした「ディストリビューション(映画配給)の革新」について軽く触れておきたい。本作の制作着手は1996年で、完成は1998年となった。しかし映画では、作品を観客まで届ける「配給」が重要になる。実際「お蔵入り(未公開作品)」になる可能性もあったようだが、結果的に海外上映が先行し、映画祭での上映を経て1999年にはフランスで先行ロードショーとなった。
国内ではテアトル新宿の単館上映からスタートし、クチコミによって全国の映画館へと興行が拡大していった。現在の観客が享受する作品の多様性は、本作を含む数々の小規模上映の成功がもたらしたものと言って良いだろう。たとえば細田守監督作品『時をかける少女』(06)やufotable作品『劇場版 空の境界』(07)が、やはりテアトル新宿発として後に続いたと言えば、その歴史的な役割が分かっていただけるはずだ。
さまざまな点で類例がなく、しかし後世にあたえた影響の大きい作品が存在する。ぜひそれを理解してほしい。そして何よりも、本作の映画的体験性はかけがえのないものである。さまざまな点で『人狼 JIN-ROH』は、古典として多くの新しい観客を獲得するにふさわしい作品なのである。
文:氷川竜介(アニメ特撮研究家)
©1999 押井守/BANDAIVISUAL・ProductionI.G

OVA(オリジナルビデオアニメーション)のリリースを続けていたエモーションレーベルが、それまでの作品単体のリリースをするのではなく、複数話でシリーズ化することで作品制作のコストダウンを図った「低価格OVA」戦略。その第1弾となったOVA『機動警察パトレイバー』(1988年4月発売開始)の成功を受けて、第2弾として企画され、約1年後の1989年3月に発売開始されたのがOVA『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(以下、『0080』)だ。
『機動警察パトレイバー』は、原作集団ヘッドギアによるオリジナル企画であり、1話完結(5、6話のみ前後編)のスタイルが取られており、各話ごとにテイストが異なるバラエティ豊かな内容で制作された。ヘッドギアに参加したクリエイターの知名度と、目新しさが含まれた企画性の高さから大ヒットとなった『機動警察パトレイバー』に続いて、OVAの次なる展開に向けて白羽の矢が立ったのは、富野由悠季が生み出した『機動戦士ガンダム』シリーズのOVA化だった。
筆者がかつて『0080』について取材した際、プロデューサーを務めた内田健二は『機動戦士ガンダム』シリーズのOVA化に向けた思いを次のように語っている。
「(『機動戦士ガンダム』では)富野監督が第二次大戦後の日本人のあるジェネレーションの疑似的な戦争体験とも言えるこれだけの世界を作ったので、第二次大戦物の小説や映画と同じようなフィールドは(OVAに)成り立つと思ったんです。それを『機動戦士ガンダム』を体験した人達が作ってもいいんじゃないかという考えは、わりと自然にありました」(機動戦士ガンダム ハチゼロ/ハチサン/ゼロハチ:太田出版 より抜粋)
当時、『機動戦士ガンダム』は、続編である『機動戦士Zガンダム』、『機動戦士ガンダムZZ』という2本のテレビシリーズを経て、劇場映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』が公開されることで、富野監督が描いてきた宇宙世紀の物語はひとつの大きな区切りを迎えていた。そのシリーズ転換点とも言えるタイミングで求められたガンダム初となるOVA化において、最も大きな挑戦となったのは、富野監督以外が『機動戦士ガンダム』の世界を描くことだった。
先の内田の発言にあるように、OVA化にあたっては『機動戦士ガンダム』を体験したクリエイターに参加の打診がなされた。OVA化にあたり、『逆襲のシャア』よりも先の宇宙世紀の物語は富野監督以外が手掛けることは考えられない。そこで、一年戦争の世界をベースにした作品の制作を行うことが決まり、メカデザインと世界観の構築にあたっては、『逆襲のシャア』に参加した出渕裕に声がかけられ、キャラクターデザインは安彦良和の影響を受けた美樹本晴彦が担当。そして、監督は『超時空要塞マクロス』でしっかりとした人間ドラマを描くことができる演出手腕に注目が集まっていた髙山文彦に依頼される。そこで、メカデザインのアップデートと、より人間ドラマによった作劇がなされることになる。
もうひとつのガンダムシリーズとしての転換点と言えるのは、『機動戦士ガンダム』の舞台として描かれた「一年戦争」を別の角度からオフィシャル作品として映像化したことだろう。『機動戦士ガンダム』の物語では、主人公のアムロ・レイとその仲間が乗り込むホワイトベースの視点を中心に戦争の状況が描かれていた。しかし、地球圏規模に広がっている戦争状況に関しては劇中のセリフなどで触れられるのみで、深い描写はなされておらず、それを手掛かりにファンを中心に余白部分の想像がなされるという状況だった。
その後、1981年にみのり書房から発売されたアニメムック『宇宙を翔る戦士達 GUNDAM CENTURY』が発売され、その誌面ではスタジオぬえのスタッフが中心となって、設定の補強がなされた。一方、ガンプラブームが隆盛の中、模型誌などの作例では劇中で描かれなかった一年戦争のさまざまな戦場のジオラマ化がなされるなど、作品世界を広げる動きも強まっていた。そうした映像の余白に想像を広げられる要素が、当時のガンダムシリーズが人気を博した理由でもあり、『0080』ではそんなファンの思いを具現化する形で物語が編まれることになる。

『0080』の舞台となるのは、宇宙世紀0079年12月。一年戦争の趨勢が決しようとする中、地球連邦軍の新型ガンダムを追うジオン公国軍の特殊部隊「サイクロプス隊」の作戦を軸に、新米パイロットのバーニィと中立コロニーのサイド6に住む少年アルとの交流が描かれる。戦争の趨勢を決する戦いからは外れた場所で、もうすぐ戦争が終わろうとしている中で起こる悲劇を少年の視点から描写するストーリーは、戦争の残酷な現実を戦争映画とジュブナイルな要素を織り交ぜる形に昇華し、ガンダムの世界観が持つ新たな可能性を示すことに成功している。そして、その後に続く形で『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』や『機動戦士ガンダム 第08MS小隊』などのOVAシリーズが展開していく礎となった。

また、『0080』はOVAのリリーススタイルとしても、新たな挑戦を行った作品でもある。初期のOVAは、30分のテレビアニメと90分から120分の劇場アニメの中間に位置するスタイルで、1本1時間程度の長さの単発作品としてリリースされていた。その後、OVA『機動警察パトレイバー』では、冒頭で解説したとおり、1話完結のスタイルで全6話というテレビシリーズ1クールの半分というスタイルとなっている。この1話完結の構成は、シリーズ全話を購入しなくても1本で完結した形で楽しめるという配慮とも考えることができる。しかし、『0080』は1本の繋がったストーリーの長編映画を6本に分けるような新たなスタイルが取られており、全話を通して見なければひとつの作品として楽しむことができない形となった。このリリース方法は、後半になれば売り上げが落ちてしまうというリスクもあったが、最終的にはそうした不安を払拭するほどの大ヒットを記録することになる。『0080』の成功を受けて、長編ストーリーを分割してリリースするスタイルは他の作品でも取り入れられ、多くの名作OVAが生まれることへと繋がっていく。
改めて振り返ると『0080』は、ガンダムシリーズのスタッフ面とストーリー面での新たな可能性を拡大しというガンダムの歴史的ポイントと、OVAの新たなリリーススタイルを確立するという大きな成果をもたらしたという点を併せ持った作品であることがわかるだろう。それゆえに、OVAのヒストリーを語る上で『0080』は重要なポジションに位置する作品であることは間違いない。
文:石井 誠
◆ニコニコ生放送にて12月24日(日)21時半より
『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』 全6話一挙放送!
生放送ページはこちら
◆バンダイチャンネルほかにて見放題配信中!
機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争 公式サイト
http://www.gundam0080.net/
©創通・サンライズ

男と男の魂が呼び合い、剣と剣がぶつかって火花を散らす
隅々まで練り込まれた映画的表現にひたり、満ちたりた気分になりたい。そんな要求に応えてくれる時代劇アニメが、『ストレンヂア 無皇刃譚』(2007年9月25日松竹系公開)だ。
朝廷が衰え、力が支配する群雄割拠となった戦国時代を舞台に、剣の腕のみで勝敗を決する剣客たち。「無皇刃譚(むこうはだん)」とは、その本質を象徴した造語である。「ストレンヂア」の方は「異邦人」のことで、自ら刀を封印した主人公「名無し」を指している。さらには大陸の明国から来た武装集団に混じった金髪碧眼の剣士・羅狼のことでもあるし、彼らの生きざまの異質さを意味しているのだろう。


この凄絶な映画には天下取りの野望を抱いたり、金目当てに平然と裏切りを行ったり、不老不死にとりつかれたり、世俗的な欲望にまみれた大人がたくさん登場する。そんな既成概念に束縛されず、信念を貫くものたちはまさに「ストレンヂア」なのだ。この映画は60年代から70年代にかけて流行し、日本の時代劇とも相互影響のあったマカロニウエスタンのエッセンスも取り入れ、娯楽アクションを強化している。主人公の多くは「流れ者」だったから、その価値観を反映したものかもしれない。

ストーリーは、ある重大な秘密をもつがゆえに大陸の明国から来た武装集団に追われる少年・仔太郎と名無しを軸に進んでいく。当初は反目しあっていたふたりが旅をするうち、心を開いていく変化の流れが美しく、ロードムービーとして見ることもできる。赤池国の領主は金目当てに武装集団に協力しているのだが、仔太郎の秘密は野心を触発し、複雑な武力衝突を発生させる。


誰が誰よりも強いのか、なぜ勝てるのか、そして心の傷を負った名無しにどんな過去があり、なぜこの戦いに引き寄せられたのか。無駄なく散りばめられた情報の断片が絶妙に編み上げられていて、ある瞬間に「あっ!」という驚きとともに、真相が胸に迫る。省略された部分が想像力をかきたてて、映像を何倍にも膨らませているから、実に味わい深い瞬間だ。
その簡潔にして的確な描写の数々は、脚本を担当した高山文彦の映画的リテラシーの高さによるものだ。オリジナルで時代劇を作りあげた監督は、アクション系アニメーターとしても有名な安藤真裕である。SFでも異能バトルでもなく、重力や刀の重みが流血の意味性に直結する時代劇の枠組みで、心ゆくまでアクションを作画で描きぬく。そんな方向性が徹底されている。冒頭のシークエンスで、襲撃を仕掛けてきた野盗の群れに対し、羅狼ひとりが飛びだして斬り結ぶ迫力から、類例をみない剣戟志向が伝わってくるだろう。

だからと言って、安藤真裕監督はアクションで埋めつくして映画を単調にすることを避けている。ひとつの理由は、名無しは帯刀を封印していることにある。それなのに彼の実力を察知した羅狼は、自分の強さを実証するため、あらゆる手を尽くそうと願っている。一般に映画表現では、バトルシーンとラブシーンは等価なものとみなされている。それを念頭においておくと、羅狼と名無しの行動がクライマックスの激闘に向かって収斂していくサスペンスも味わい深くなる。

ふたりはどのように剣を交えるのか。高まる期待に迫力のアクション作画で応えるアニメーターは、中村豊だ。雪の積もり始めた地面を足がこすり、高所から落下して体勢を立て直すなど、立体的に空間を使い、実に多彩な殺陣を見せてくれる。その表現は後に広まり、ひとつの様式として多くの作品に影響をあたえたほどだ。これは「以前以後」で語られるべき記念碑的な作画アニメである。
それは単なる技量の見せびらかしに終わってはいない。それは「痛み」とは何なのか、「誇り」とどんな関係にあるのか、語るための手段としてアクションが位置づけられているからだ。実写やCGでは伝達困難な「実感」は、手描きのアニメーションだからこそ伝わるもの。作り手たちもまた剣客としての矜持をもっているのである。
アニメーション制作のボンズは、1998年にサンライズ(当時)から独立して設立された会社で、まだ10周年に満たない時期の公開であった。設立時、南雅彦社長が川元利浩、逢坂浩司(故人)と凄腕アニメーターを取締役とした。当時すでにアニメ業界はデジタル化が進み、3DCGも多く導入され始めたが、あくまでもアニメーションの根幹は作画とした結果、凄腕アニメーターが集まる会社に成長していた。
21世紀初頭の2002年には東京都が主導して「東京国際アニメフェア」が開催され、深夜アニメのDVDセールスも好調、海外へも輸出され、ビジネス的な注目が高まりを見せていた。日本経済新聞系の雑誌にもアニメ業界が注目された状況で、ボンズは2003年に『鋼の錬金術師』をヒットさせ、『ラーゼフォン』(02)、『交響詩篇エウレカセブン』(05)などオリジナル作品を積極的に打ち出して注目されていた。そんな状況下で、満を持して公開された初の完全オリジナル劇場作品が本作なのである。
国際化の中で「日本人ならではのアニメ作品とは何か」が問われていた時期、水墨画的で枯れた色彩を多用した背景美術の中で、卓越の剣戟アクション作画が展開し、男と男のドラマが熱気を高めていく。そんな熱を帯びた本作は、今でも新鮮な感動を生み出すに違いない。
文:氷川竜介(アニメ特撮研究家)
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©BONE/ストレンヂア制作委員会2007

パッケージメディアの転換点を象徴するタイトル『カウボーイビバップ』
まだ覚えている人も多いと思うが、『カウボーイビバップ』はパッケージメディアの転換点を象徴するタイトルだった。少し前にリリースされたゲームハード・プレイステーション2は、DVDプレイヤーとしても高性能であることが知られていた。当時、このプレイステーション2で見るためによく買われているとしばしば人々の口の端に上ったのが、このスペースオペラならぬ、“スペースジャズ”を自称する作品のDVDだった。
当時はまだ、普及率No.1のVHSと、マニア御用達である直径30cmのレーザーディスクが現役。そんなアニメファンのメディア環境が、ぐっとDVDへと傾くきっかけとして『カウボーイビバップ』の存在は大きかった。どうしてそんなことが起きたかといえば、端的に言って『カウボーイビバップ』が「よりハイスペックな環境で楽しみたい」と思わせるだけの、シャープで洗練されたビジュアルと粋なクールな音楽でできていたからだ。華々しい導入から始まる『Tank!』、それと同期しながら展開される、ソール・バスにも通じるグラフィカルなビジュアル、このオープニングを見れば、本作をDVDで“浴びたく”なった当時の人の気持ちはすぐ伝わるはずだ。

紆余曲折あった後、WOWOWで『カウボーイビバップ』が全話放送されたのは1998年秋から1999年春にかけて。舞台は2071年の太陽系。その太陽系をまたにかけて犯罪者を追う賞金稼ぎ=カウボーイたちがいた、というのが基本の設定だ。儲かる仕事じゃないが、世間からドロップアウトしてしまったメンツにはちょうどいい身の丈にあった賞金稼ぎという仕事。スパイクたちは、もともとは惑星間航行漁船だったビバップ号を根城として、賞金首を追って宇宙を東奔西走(?)する。

魅力的なキャラクターたちを描き出したのは川元利浩。主人公のスパイクは、その長い脚を少しだらしなく折り曲げた力を抜いたポーズがよく似合う長身の男。彼はマフィア・レッドドラゴンの構成員であった過去もあり、ベビーイーグル(ジェリコ941)片手のアクションも得意で、ジークンドーの使い手でもあるという設定だ。ジークンドーは、『燃えよドラゴン』などで知られるブルース・リーが作り上げた武術。ここでわかる通り『カウボーイビバップ』には、1970年代から1980年代前半ぐらいまでの“そのあたり”のジャンル映画の影響も色濃く受け継がれている。スパイクがタバコを嗜む姿も、今から見るとより増して、“あの頃のヒーロー”らしく見えてくる。

シリーズ構成は信本敬子。そこにさまざまな脚本家が参加して、まるで万華鏡のようにさまざまなストーリーを展開した。例えば、スパイクの過去を知るライバル、ビシャスが登場すれば、甘さと苦さが交錯する血の味のバラード、あるいは、ガニメデの港町で相棒のジェットと別れた女が再会をすれば、言えなかった言葉を飲み込むようなオトナの演歌。こんな調子でアクションをベースにしながらも、サスペンステイスト、ホラーテイスト、サイバーパンクに人情話と、シリーズのイメージをひとつに絞らせない。この幅の広さは、各話を印象づける小道具を並べると、「肉なし青椒肉絲」から始まり「βのビデオデッキ」「スペースシャトル」「冷蔵庫の中になんだかよくわからないもの」と、脈絡がまったく感じられないものになることからもよくわかる。
そして音楽を担当したのが菅野よう子。『Tank!』に代表される軽快でクールな音楽だけにとどまらず、カウボーイというキーワードからの連想か、ブルースやカントリー調の音楽も多くあり、そうした楽曲からこの作品がその奥底に湛えている情感がにじみ出てくる。
そう、『カウボーイビバップ』といえば、「クールで粋」「かっこいいアクション」という魅力がまずもって語られることになるが、そうした一番言葉にしやすい魅力の奥に、また別の魅力が眠っているのだ。それはいうなれば「青春の後始末」にまつわる情感といってもいい。

かつて過ごした幸福で充実した時間。それはもはや消え去ってしまった。そのことを頭では理解しながらも、終わってしまった時間の残り香に迷う、「青春の尻尾」ともいえる一種のモラトリアム。そこから生まれる情感が、『カウボーイビバップ』に、屈折した青春ものという側面を加えている。
現時点から振り返ってみると、監督である渡辺信一郎の作品には、この「モラトリアムが終わっていくこと」に関する作品は案外多い。具体的には、直接的にそこを描いた作品としては『サムライチャンプルー』『坂道のアポロン』が挙がるだろうし、総監督・河森正治の色も濃いとはいえ、初監督作品『マクロスプラス』も「終わってしまった青春時代に改めてケリをつける物語」であった。
そして、劇場版『COWBOY BEBOP 天国の扉』はまさに、この「終わってしまった時間にケリをつけること」をめぐる物語となっている。ここでスパイクが追うヴィンセントという男は、かつて彼が生きた幸福で充実した時間の「残り香」の中にだけ生きている存在だ。そういう意味でヴィンセントは、スパイクの合わせ鏡のようなキャラクターなのである。そのことをスパイクが自覚していることを示すラストのカットは特に印象的だし、だからこそ、TVシリーズのどこかに入るエピソードとして制作された劇場版が、TVシリーズの最終回の前触れのようにも見えるのである。 放送開始から四半世紀が経ち、当時プレイステーションとDVDを買った世代ももういい年齢のはずだ。自分の中の「若き日々の尻尾」に、指鉄砲で「バァン」と止めを指すのにもいい頃合いかもしれない。

<25周年関連情報>
『カウボーイビバップ』25周年記念展
「COWBOY BEBOP Exhibition~The 25th Anniversary Special Session~」
2023年11月19日(日)まで西武渋谷店モヴィーダ館特設会場にて開催中!
詳細はこちら

『カウボーイビバップ』TV放送25周年を記念した設定集
「THE BOOK OF COWBOY BEBOP」
A-on STORE他にて2023年11⽉24⽇(金)まで予約受付中!
お届けは2024年3⽉15日(金)予定!
A-on STORE(https://a-onstore.jp/item/item-1000228691/)
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COWBOY BEBOP Blu-ray BOX
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▼カウボーイビバップ 公式サイト
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▼カウボーイビバップ 公式X(旧Twitter)
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©サンライズ
©サンライズ・ボンズ・バンダイビジュアル

「男の子達の夢」と「生々しさ」を合わせ持つ「おねがい」シリーズ
『おねがい☆ティーチャー』と『おねがい☆ツインズ』は、2002年~2003年にかけて放送され、世界も舞台も、制作スタッフも同じくする。「おねがい」シリーズと総称され、「おねてぃ」「ツインズ」の愛称で呼ばれる両作品は、当初は地上波での放送もなく、視聴者も限られていたはず。それでも10周年、20周年のイベントごとに湧き上がるファンの熱気は、逆説的に存在感の大きさを物語っている。
「おねてぃ」「ツインズ」に共通する要素は、1つには「男の子達の夢」に全力で応えたということ。主人公はどちらも思春期の男子であり、シチュエーションだけを抜き出せば「美人の女教師と結婚」と「ふたりの美少女と同居生活」である。日常から嬉しい何かがあふれ出すのは約束されているし、実際にその約束は守られている。

もう1つは、夢の先にある「生々しさ」にも正面から取り組んだことだ。教師と生徒が人目に隠れて新婚生活を送ったり、あるいは多感な10代の男女3人が1つ屋根の下にいることは、周囲にも波乱やあつれきを及ぼす。そうしたドロッとしかねない情念を、両作品とも避けるどころかドラマのダイナミズムに昇華していった。
夢が仰ぎ見る憧れだとすれば、情念は地に足付いた共感を呼ぶ。羽音たらくの可愛らしさと深さのあるキャラクター原案、魔法少女からガンダムまで才能の爪痕を残した黒田洋介のシナリオ、それらを爽やかにしてしっとりしたドラマに紡ぎ上げた井出安軌監督の手腕。そこにキャラクターの息づかいまでも細やかに表現するキャストの絶妙さも加わり、「おねがい」シリーズは20年を経た今なお愛され続け、不朽の魅力を放ち続けているのだろう。
「おねてぃ」「ツインズ」それぞれの良さ
もちろん、それぞれ2作ともに異なる味わいがある。「おねてぃ」は、高校1年生の草薙桂が湖に宇宙船が不時着するのを見た翌日、クラスの新担任として風見みずほが着任。お隣に引っ越してきたみずほが、昨夜見た宇宙人だったことを思い出す……という、SF色の濃いストーリーだ。
ふつう教師と生徒が付き合うだけでも一波乱となるはずだが、「宇宙人であることを口止め」という非日常的にも程がある動機が「結婚」まで突破してしまうドライブ感。叔父夫婦が「実はみずほが赴任する前に2人は結婚していた」という設定を考えたり、それに校長が理解を示して丸ごと受け入れたり、みずほも乗り気になったりと、怒濤の展開には快感さえ覚える。
しかし、桂は成り行きに流されるようなヤワな主人公ではない。3年間もの「停滞」(昏睡状態)があったため、実際の年齢は18歳。その停滞を打ち破ろうと、前へ、前へと進もうとする。精神年齢も高いのか、見た目には年齢差のあるみずほと対等の“夫婦”として振る舞った印象もある。

かたや「ツインズ」は、物語の始まりとなった「正体不明のUFO騒ぎ」(おねてぃ関連である)以外はSF色はほぼ皆無。テレビに写った一軒家は、1人の少年と2人の少女が持つ写真にもあった……。2年後、その家を借りて住む高校生・神城麻郁のもとに、活発そうな宮藤深衣奈とおしとやかそうな小野寺樺恋が訪れる。
麻郁はイケメンで在宅プログラマーとして働き、一軒家を借りるほどの稼ぎもある。結局、深衣奈も樺恋も家に住まわせて養っており、恋愛アニメの主人公としては異例の自立ぶりだ。責任感もあり、ぶっきらぼうながらも優しい。ヒロインどころか、視聴者まで惚れかねないのである。
そして深衣奈も樺恋も、「麻郁の肉親かもしれない」から同居でき、肉親でなければ同居できないが恋人にはなれる。そのため2人は「恋愛同盟」を結成し、互いの恋を応援し合う。この緊張関係が、視聴者をしてドラマの行く末に前のめりにさせるのだ。

「聖地巡礼」ブームの先駆け
こうして「恋愛アニメの最先端」を走った両作品は、楽曲面では2000年代初めの恋愛ゲームの文脈を取り入れている。「おねてぃ」のI'veは『AIR』などのビジュアルアーツに所属し、「ツインズ」のfeelは『みずいろ』等に楽曲を提供していた集団だ。当時の美少女ゲーム、特にオープニングは楽曲の最先端に位置している1つだった。
そして「おねてぃ」「ツインズ」とも、冒頭の本編からオープニングへとなだれ込む。それが主題歌を印象づける一因となったのかもしれない。
最後に「おねがい」シリーズで忘れてはならないのは、「聖地巡礼」という言葉が世間に浸透するよりも早く、両作品の舞台である木崎湖を訪れるファンが現れ始めたことだ。
2000年初頭に、デジカメが普及した時期でもあったからか、実際に2003年頃に「巡礼」した人のブログ等には、「デジカメを買った」との記述も見られる。アニメの制作サイドもロケハンに活用し、視聴者もロケ地を撮りに行く。そうした聖地巡礼のサイクルを回し始めたのが「おねがい」シリーズではないだろうか。
文:多根清史
PROFILE
多根清史(たね きよし)
大阪府大阪市生まれ。京都大学大学院法学研究科修士課程修了。『CONTINUE』の編集デスクを経て、フリーのライターとなり、ゲームやアニメなどのジャンルで精力的に執筆中。著書に「教養としてのゲーム史」(ちくま新書)、「ガンダムと日本人」(文春新書)などがある。
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▼「おねがい☆テイーチャー」「おねがい☆ツインズ」
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©Please!/バンダイビジュアル

時代を変えた2本の映画
――その再確認は現在の情況を照らし出す
『機動警察パトレイバー the Movie 1+2 SET Blu-ray』は1989年と1993年に公開された2本の劇場アニメをまとめたパッケージである(以下、『P1』、『P2』と略)。平成初期、日本のアニメはどのように変わっていったのか、時代性とどう関わっていたのか、近代史的な観点でも楽しめる映画である。
「もし警察に巨大ロボットが配備されたら」と「ロボットアニメ」の設定を使い、難事件に立ち向かう多彩なキャラクターたちを描いてきた「パトレイバーシリーズ」。OVAやテレビでは物語のバリエーションや登場人物の魅力が連続ものの中で展開された。
この2本の劇場版では若者よりも後藤小隊長という中年の策士を「観察者」として配置し、「現実に存在する問題」をあぶり出して「始まりと終わりのある物語世界」を提示することで、風格あふれる「映画体験」を可能としている。そして押井守監督を主軸として提示された問題意識は、世界が不安定な今だからこそ再考に値するものである。

公開当時の日本アニメは劇場アニメとOVAに濃厚さを求めるクリエイターが結集し、「緻密さと正確さ」の点で従来の基準が次々と更新されていた。パッケージ販売が定着したため、宣伝もその濃密さを「クオリティ」と言語化し、購買に結びつけていった。同じ時期、ハードの進化にともない、表現、内容ともに高度化していったゲーム文化のムーブメントとも歩調が合い、背後には高度化していくIT産業界の歩みがあった。
1991年には、携帯電話がデジタル化されている。このインフラの激変が象徴するように、電子デバイスの高集積化によってネットワーク通信を媒介とする個々人の意識が大きく進展した時期に、この2作が作られたことも注目に値する。実際、同時代的にはアニメ雑誌など紙媒体よりも、初期のパソコン通信に参加したメンバーの方が作品の主張をリアルタイムで正確にとらえ、高く評価していたのだった。

30年分をまたぐこの種の「時代の検証」をしてみると、本パッケージは「なぜ2020年代の今がこうなってしまったのか」と再考するヒントをいくつもあたえてくれる。だから鑑賞に際しては、「当たり前」と見過ごしがちな部分こそ観察してほしい。
代表例は、1989年公開の『P1』で使われた犯罪の道具、人型機械レイバーの基本ソフトOSに仕込まれたコンピューターウイルスだ。当時のパソコンはMS DOSマシンを専門家とマニアが使っているに過ぎなかった。OSがオペレーティング・システムの略語だと周知され、ネット通信が社会全体を根底から変える影響力を有していることが発覚するのは、1995年のWindows 95以後のことなのだ。
さらに1993年公開の『P2』は、「武力行使による現状変更」が発生し、戦争が議論されている現在だからこそ、再見に値する作品である。注目すべきは先述のような「IT時代の戦争」が的確に描かれていることだ。1990年、湾岸戦争の報道映像がテレビで流れたことをふまえ、兵器やミサイルなど人間でない者の「主観映像」や「モニターグラフィックス」が多用されている。
さらに防空システムへのハッキングによる敵機のフェイク情報と同士討ちへの誘導も、ネット情報に汚染されて敵意をむき出しにする大衆が激増した現在のほうが、恐ろしさが身近に感じられるはずだ。警察、自衛隊と日本に実在する2大武装組織による衝突も、世界中で続く「内戦」とすり合わせることで、迫真度が増すだろう。都心の要所でアンテナや橋梁が戦闘ヘリに空爆され、地下施設も爆破によって破断されて通信網がブラックアウトさせられる。この『P2』最大の見せ場も、日常生活が通信インフラに強く依存するようになった現在、切実に感じられるに違いない。

もちろん古びた部分も少なくはないが、このように「何を訴えたかったのか」という中核部は、むしろ鮮明さを増した。それは人の営みの「本質」が正確に描かれた上で、サイバー時代以後に生じる新たなコンフリクトが、的確にとらえられていたからだ。
この2本に共通する注目ポイントを、さらに挙げておく。それは「現実に近い東京の姿」である。時代設定は西暦2000年前後とされ、携帯電話やスマートフォンの実現、あるいは湾岸地域の急開発など、ある部分では未来予想が追いついていないとは言え、「東京の景観」が引き写されているがゆえに、現実との地続き感は健在である。

それはこの2本の劇場作品が、日本アニメの制作手法に大きな影響をあたえることになったことと無関係ではない。水路など視点を変えて東京の実風景をロケハンし、画面に反映する手法は、デジタルカメラが一般化した21世紀以後、いわゆる「聖地巡礼」のブームを呼んで大きく発展した。動くセル画部分と動かない背景部分を「最終画面の設計図」としてまとめる「レイアウト」に時間を割き、演出の意図を反映すべく入念にチェックする方法論は、現在どのアニメ制作の現場でも重視されている。
であれば、その元祖である『P1』と『P2』の再確認には大きな意義がある。たとえば「手描きの絵」だからこそ、「東京のエッセンス」を迫真の力で表現することが可能となっていることは、元の写真を単に引き写しただけの背景が増えている現在、要注目だ。「人が描いた力」が映画に緊張感をあたえ、鑑賞者に「これはどういうことなのか」と思索をうながす触媒となる。「人の意識の媒介」は映画のテーマとも響きあうものだ。
「なぜそういうことをしたのか、どんな効果があったのか」を再確認することで、単なる技法ではなく、思索を触発するものだったと、目的意識が明らかになるだろう。そしてその思索を2023年現在に起きている様々な事件と重ねてみれば、これから起きることへの対応力を向上できるかもしれない。
以上のように、刻々と変わる時代相に対応できうるこの2本の映画こそ、まさに「古典」と呼ぶにふさわしい作品と言えるのである。
文:氷川竜介(アニメ特撮研究家)
▼機動警察パトレイバー 公式サイト
https://patlabor.tokyo/
©1989 HEADGEAR/BANDAI VISUAL/TOHOKUSHINSHA
©1993 HEADGEAR/BANDAI VISUAL/TOHOKUSHINSHA/Production I.G

20世紀末が近づく6年間——
「パトレイバーシリーズ」の提示した先駆的な挑戦
1983年末に『ダロス』から始まった新メディア「OVA(オリジナルビデオアニメーション)」は、日本アニメに大きな変革をもたらした。テレビ放送から離れ、反復視聴可能な作品を個人へ直接売ることで、菓子や玩具販売目的の制約を離れ、中身(コンテンツ)で勝負できるようになったのである。1988年4月に発売されたOVA『機動警察パトレイバー』全6話シリーズ(後に1話追加)は、その変革の第二段階に位置づけられる。
初期OVAに対しては、送り手も受け手も戸惑いがあった。1本数千円から1万円を超える価格設定に対し、何をもって満足とするか、定まっていなかったのである。「テレビ以上・劇場未満」の認識はあるものの、前例がないため予算や収益面でも振れ幅が大きく、メーカーや制作会社にとってはリスキーであることが、次第に判明し始めた。
その結果、「複数本でシリーズ化してコストダウン」というアイデアが出る。その方向性にフィットしたのが、原作者集団ヘッドギアが開発したオリジナル企画『機動警察パトレイバー』であった。「もし警察に巨大ロボットが配備されたら」という「リアルロボット路線」の発想に加え、組織をハミ出すユニークなキャラ集団「特殊車輌二課」(通称「特車二課」)が用意され、人気の要素が仕込まれている。毎回起きる事件へキャラが対処することでストーリーを転がせる構造の点では、限りなくテレビ寄りであった。その全6話の構成は「テレビの1クール(13話)の半分」に由来する。これは現在の「1クール深夜アニメ」の原点なのであった。

▲アーリーデイズ
ヘッドギアは漫画家・ゆうきまさみ、メカデザイナー・出渕裕、キャラクターデザイナー・高田明美、脚本家・伊藤和典で結成されたユニットで、骨子が固まった後に押井守監督が合流する。ゆうきまさみのコミック版を「週刊少年サンデー」に連載することで認知度を高め、商品にCMを挿入するなどの工夫で徹底した低価格路線を打ちだし、スマッシュヒットを実現した。現在では識別のため「アーリーデイズ」と添えられた本シリーズが成功した影響で「4~6話シリーズのOVA」が急増した。
とは言え、OVAはニッチ市場である。普通なら「次はテレビへ」と展開するのだが、シリーズの隔月リリース中に劇場映画化が発表される。それが1989年7月公開の『機動警察パトレイバー劇場版』であった。
ヘッドギアとメインの関係者は、劇場には多彩な観客が訪れることを意識し、ファンムービーではなく「娯楽映画としてのパトレイバー」を極める方向性へと大きく舵を切った。作品をまとめる押井守監督の作家性が、これに大きく貢献する。
東京生まれの押井守は、東京を舞台とする「パトレイバー世界」を使い、バブル経済に浮かれる日本の時流に批評的な疑問を提示した。地上げが続いて古い建物が壊されて情緒が消失し、投機目的の無機質なビルが立ち並ぶ。正体不明のエンジニアが都市の破壊を企むが、自死した犯人に代わり、人型機械レイバーのOSに仕込まれたコンピューターウイルスがテロを実行する。後世を先取りする非常に高度な内容となった。アニメーション制作はOVA同様にスタジオディーンが担当し、実際の現場はアイジー竜の子(現:Production I.G)が手がけて、緻密な映像表現が実現する。

▲劇場版
この長編と並行し、10月からのテレビシリーズが急遽決定した。現在では『機動警察パトレイバー ON TELEVISION』と呼称されている作品で、物語もテレビ用に仕切り直している。これは夢の実現であったが、あまりにも短期間となった。監督は押井守からOVA第7話を手がけた吉永尚之に交代、ロボットアニメの老舗サンライズが現場となり、突貫工事的に放送がスタートする。
当初は2クール(全26話)の予定であったが、人気が出たため全47話、約1年間と延長が決まる。ストーリーをまとめる伊藤和典は苦心の末、コミック版のグリフォン編を参照するなどして題材不足を補強しつつ、日常的な行動を掘り下げることで、より身近な生活感あふれる色彩を濃くして毎週の放送を乗りきった。各キャラクターの人気も、ここで盤石なものとなる。

▲TVシリーズ
ところが、さらなる長期化が続いた。1990年代に入り、レーザーディスクが普及したことを前提に、テレビアニメをパッケージ販売するビジネスが立ち上がっていた。その多くは1巻4話収録、毎月発売の体裁だったが、1990年11月と放送終了直後から始まったパッケージは「1巻あたりテレビ版(パッケージ化にあたりSE・BGMをステレオ化)を3話、新OVAを1話収録」と、異色のフォーマットを取ったのだ。(上記パッケージが“P(パーフェクト)バージョン”、新OVAだけを収録した“S(スタンダード)バージョン”も同時にリリースされた)現在では『機動警察パトレイバー NEW OVA』とされる新シリーズの開始である。
大きな意図として、グリフォンとの戦いに決着をつけることがあった。これに全4話と長尺が割り振られ、その他もテレビの続編やバリエーションが多く用意され、全体を掘り下げることで、何度も繰り返し鑑賞可能とする手厚いサービスであった。このリリースは全16巻、1992年4月まで1年半にわたって続く。最初期から4年の歳月が経過していた。

▲新OVAシリーズ
1993年8月、『機動警察パトレイバー2 the Movie』が劇場公開される。成立、内容ともにこれまでの流れとは隔絶した部分を多々有する作品だ。特車二課メンバーはそれぞれ別部署に転属し、後藤と南雲、2人の小隊長を中心にストーリーが展開する。湾岸戦争で兵器類が電子制御主体となった現実をふまえ、「もし東京を舞台にIT技術を駆使した内戦情況が出現したら」という仕立てで、現実世界に起き得る事象を照らし出し、「戦争を考える」というテーマを前面に押し出した。アニメ映画におけるリアリティ・レベルを格段に向上させた作品としても後続に大きな影響をあたえ、シリーズを完結させたような内容も話題となった。

▲2 the Movie
以後10年近く、「パトレイバーシリーズ」は休眠状態となる。21世紀になって作られた作品群については、詳細を略す。1988年から1993年まで、6年間で日本のアニメ全体に大きな影響をおよぼした本シリーズ、興味を惹かれたタイトルから入り、気に入ったら縦横に展開した足跡をたどってみてはいかがだろうか。先駆的だった物語の全貌を追体験する中で、明日へのヒントが何か見いだせるかもしれない。
文:氷川竜介(アニメ特撮研究家)
▼機動警察パトレイバー 公式サイト
https://patlabor.tokyo/
©HEADGEAR/BANDAI VISUAL/TOHOKUSHINSHA
©1989 HEADGEAR/BANDAI VISUAL/TOHOKUSHINSHA
©1993 HEADGEAR/BANDAI VISUAL/TOHOKUSHINSHA/Production I.G





















