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2026.08.07

サンライズワールド クリエイターインタビュー 第27回 キャラクターデザイン、作画監督、アニメーター 吉松孝博さん <前編>

 

サンライズ作品のキーパーソンとなった人物に自身の関わった作品を振り返ってもらうクリエイターインタビュー。今回は2026年で35周年を迎える『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』のキャラクターデザインと作画監督を務めた吉松孝博さんが登場。<前編>では、師匠である芦田豊雄さんとの思い出や『サイバーフォーミュラ』という作品に関わるきっかけなどを伺った。


――どのような経緯でアニメのお仕事に関わるようになったのでしょうか。

吉松 元々はマンガ家を目指していたんですが、中学・高校では仲間と自主制作でアニメを作っていまして。その延長線上で将来アニメの仕事もできればいいかなと考えていました。当時はアニメブームで有名なスタジオがいくつかあったんですが、中でもアニメ誌などで紹介されている芦田豊雄さんのスタジオライブの様子から楽しそうな雰囲気を感じいたんです。その後、スタジオライブに入りたいと思い、芦田さんに絵を見せに行こうと思ったんです。当時、アニメーターの講演会のようなイベントを全国各地でやっていまして、僕の地元の大阪でも芦田さんとわたなべひろしさんの講演会が行われました。そのイベントにスタッフとして入り込んで、良きタイミングで芦田さんに絵を見てもらったんです。その時に芦田さんからきちんと仕上がった絵だけではなく、普段描いている落書きみたいなものも見たいと言われまして。当時は高校生だったので、夏休みに落書き帳を持って上京して、スタジオライブに顔を出したんですが、その時はたまたま芦田さんがいらっしゃらず。落書き帳として使っていたルーズリーフを預けてきたところ、芦田さんから「いつから来れるの?」と電話をいただきまして。つまり、合格ってことだったんですが、「ただ、高校はちゃんと卒業しろよ」と言われたんですよね。何のことかと思ったら、ルーズリーフの中に、隠していたテストの赤点の答案が挟まっていまして(笑)。それを見て芦田さんに注意されたんですが、その後に無事高校を卒業して、スタジオライブに入りアニメの仕事をスタートさせました。

――芦田さんの作品は何がお好きだったのでしょうか。

吉松 『Dr.スランプ アラレちゃん』を見ていると、面白い回はみんな芦田さんの演出回だったんです。その後『魔法のプリンセス ミンキーモモ』などもあって芦田さんのキャラや演出が好きになっていきました。当時、『超時空要塞マクロス』などメカものも流行っていたんですが、メカを描くのは大変だなと思っていて。一方、芦田さんの関わっていた作品はわりと線が少ない可愛いキャラクターが多かったので、自分が描くのが好きで向いているのはそちらだろうと思ってスタジオライブを選んだということもありますね。

――その後、スタジオライブに入られるとサンライズ作品にも関わることになったと思いますが、サンライズという会社に対してはどんな印象を持たれていますか。



吉松 僕がスタジオライブに入ったときは、ちょうど『銀河漂流バイファム(以下、バイファム)』の中盤頃だったんです。そこから、サンライズさんのメカものとは結構長いお付き合いになるんですよね。『魔神英雄伝ワタル(以下、ワタル)』とか『魔道王グランゾート(以下、グランゾート)』とか。大変だと思っていたメカを結構描くじゃんという感じで。自分としては「こんなはずではなかった」と思っていました(笑)。サンライズさんは、やはり『機動戦士ガンダム』の会社というイメージが強いですよね。劇場版3部作は初日に見るのに徹夜で並んだクチなので。あとはロボットものをたくさんやられていたので、メカをたくさん描かなくちゃいけない会社だとは思っていました。でも、サンライズさんは面白い作品がたくさんあるので、サンライズさんとお仕事できるというのは嬉しかったですね。

――お仕事としては、『ワタル』や『グランゾート』では原画として参加されていますね。

吉松 そうですね。『バイファム』の最終回でやっと動画でクレジットを出してもらえて。その後、『ワタル』で原画になり、『グランゾート』の最終回で作画監督デビューさせていただきました。

――作品に合わせて成長されたという感じですね。

吉松 そうですね。芦田さんがわりと気を使ってくださって、最終回のタイミングでエンディングにクレジットされるようなところに持っていってもらった感じですね。作業するときも「次はお前の名前を出すからな」と言ってくださって。

――「だから頑張れよ」というエールだったわけですね。

吉松 そうだと思います。

――芦田さんとのやり取りで印象に残っていることはありますか。

吉松 やはり、自分にとっては師匠のような存在で、非常にお世話になりました。芦田さんがいなければ、僕は今こうしてお話を聞いてもらえる立場にはなっていなかったと思いますね。芦田さんは、自分のところの社員をプロデュースするという考えを持っていらして、そういう社長のもとで働けたのはラッキーというか、すごく幸せなアニメーター人生を歩ませてもらったなという感じがしますね。芦田さんは優しい方で、社員に対しても厳しい仕事を強いることはなかったです。もちろん、スケジュールに追われれば若い頃は徹夜とかもしていましたが、そういう時もみんなに天丼の差し入れをしてくれたり。そういう気遣いが働く活力になりましたね。他のスタジオとは比べられないですが、芦田さんのおかげで自分たちは、アニメーション業界の中ではわりと恵まれた環境でお仕事をさせてもらえたのではないかと思います。

――その後『サイバーフォミュラ』でお仕事をされるわけですが、どのような経緯で作品に参加されたのでしょうか?



吉松 当時、スタジオライブで芦田さんひとりでキャラクターデザインを続けていくのは厳しいと危機感を持っていらして、自分の他にもキャラクターデザインで独り立ちできる人間を作らなくちゃいけないという思いがあったようです。そこで、芦田さんのプロデュースの一環として、吉松に何かタイトルをやらせようということになり。ある日芦田さんに呼ばれて「こういう作品があるんだけどやってみないか?」と言われたのが『サイバーフォーミュラ』でした。アニメ業界における自分の夢としてキャラクターデザインをやりたいという思いがありまして、キャラクターデザインで関われた作品が1つできればアニメの仕事を辞めてもいいというような気持ちでいたので、『サイバーフォーミュラ』ではその思いが叶えられたので嬉しかったですね。

――クレジットではいのまたむつみさんがキャラクター原案となっていますが、吉松さんとはどのように分担されてキャラクターデザインとして関わられていたのでしょうか?

吉松 いのまたさんがキャラクター原案となっていますが、実際は、メインキャラクターであるスゴウアスラーダチームとナイト・シューマッハ、そして新条直輝はいのまたさんが設定画まで完成させています。それ以外のドライバーたちはラフデザインだったので、それを僕が設定画の形まで持っていきました。その他のサブキャラクターのデザインも僕が作る形で作業をしています。監督の福田己津央さんからは「好きにやってください」と言われましたね。キャラクターのバリエーションが欲しいので、いのまたさんのキャラデザを意識しすぎなくてもいいと

――キャラクターデザインをされる時に吉松さんなりのこだわりを出されたところはありますか?

吉松 いのまたさんのラフデザインの段階でドライバーたちの雰囲気は完成していたんですが、そこにプラスアルファされる形で福田さんから「コイツはこういうキャラクターだ」という折り込みがありまして、それを加味する形でのアレンジには力を入れていましたね。もちろん、僕の中で膨らませた部分もあります。例えば大友譲二がプロレス好きでヒンズースクワットをやっているとか、チーム名の「アルバトロスD.D.T」もプロレス技から来ていますし。葵今日子は格好付けて歩いているけど転びがちとか、そういう追加設定を描き足したりもして遊びを入れています。当時はF1レースがブームで、F1レーサーもプロレスラー並にキャラが濃い人が多かったので、そうした部分は意識していましたね。

<後編>に続く
 

吉松孝博(よしまつたかひろ)
1965年(昭和40年)8月27日生まれ。大阪府出身。スタジオライブ所属。代表作は『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』『劇場版スレイヤーズ』『TRIGUN』『十兵衛ちゃん』『学園戦記ムリョウ』『大江戸ロケット』『牙』『バスカッシュ!』『宇宙よりも遠い場所』『からくりサーカス』『HUNTER×HUNTER』『グッバイ、ドン・グリーズ!』等。サムシング吉松のペンネームでマンガ家としても活躍中。