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2025.09.25

サンライズワールド クリエイターインタビュー 第24回
小説家 高千穂遙<前編>


サンライズ作品のキーパーソンとなったスタッフに、自身が関わった作品の思い出を伺うクリエイターインタビュー。今回は、テレビシリーズが放送開始40周年を迎えた『ダーティペア』の原作者である小説家の高千穂遙さんが登場。前編ではサンライズの前身である創映社時代からの仕事の関わりから、劇場版『クラッシャージョウ』、そして『ダーティペア』のテレビシリーズ立ち上げに関する思い出を振り返ってもらった。

 

――まずは、高千穂さんのサンライズとの関わりから教えていただければと思います。

高千穂  1974年にスタジオぬえの前身になるクリスタルアートスタジオを仲間を集めて作ったんですが、当時は仕事がひとつも無かったんです。そんな中、まだデザイナー学院の学生だった加藤直之くんが、彼の同級生の女性から「知り合いのアニメ会社が新作のメカデザイナーを探しているみたいだから持ち込んでみたら?」という話を聞いてきたんです。それはいい話だということで、そこに面接を受けに行ったんです。その会社というのが、サンライズの前身となる創映社でした。その時は、みんなで揃って行って、持っていったメカの絵を見てもらいました。「描いている線は素人だけど、デザインは面白いからちょっとやってもらおう」ということで、その場で正式に仕事をいただくことになって。その後『ゼロテスター』という作品として放送されることになったんですが、それが最初の関わりですね。

――創映社時代ということは、サンライズもまだ出来たばかりの頃だったわけですね。

高千穂  そうですね。創映社は当時、虫プロダクションから独立した人たちが中心になって『ハゼドン』というコメディ作品を作っていたんですが、その流れから脱却しようとして出した企画が『ゼロテスター』だったみたいです。メカに関しては元になるデザインがあったので、それをもうちょっとアニメ的に格好良く、子供たちに受けるようにできないかと言われて、それを持ち帰って作業を進めることになりました。ただ、その頃、野田昌弘さんが『ひらけ!ポンキッキ』を作ることになり、私がそちらを担当、松崎くんがサンライズの方を担当する形で分けたので、その後はあまり関係なくなってしまいました。

――その後、高千穂さんがサンライズの作品にしっかり関わることになるのが、創映社が制作を担当した『勇者ライディーン(以下、ライディーン)』だったわけですね。

高千穂  そうですね。『ライディーン』も当初は松崎くんが担当だったんですが、そのちょっと前から松崎くんは『宇宙戦艦ヤマト(以下、ヤマト)』にも関わるようになっていまして。『ヤマト』が滅茶苦茶忙しかったので、サンライズに行っている余裕も無くなってしまったんです。その頃『ライディーン』は、前半の監督をされていた富野由悠季さんが降板し、長浜忠夫さんに交替されたので、それをきっかけに『ポンキッキ』と掛け持ちする形で私がサンライズに通うようになりました。仕事としては、長浜監督と話をしてどんなメカが欲しいのかを聞いたり、シナリオを読んで「ここにはこのメカを入れてはどうか?」という判断をして、それがまとまったらデザイナーである宮武一貴くんに作業をしてもらう。そして、デザインが出来上がったらまた私がサンライズに持っていって、OKが出たらおしまい。そういう仕事でした。

――そんな中で、高千穂さんとしては、その後に『クラッシャージョウ』や『ダーティペア』で表紙や挿絵を描いてもらう安彦良和さんとの出会いがあったわけですね。

高千穂  そうですね。『ライディーン』の時に安彦さんの絵を見て、「これは上手い。この人は凄いな」と思ったので、きっとイラストも描けるんじゃないかと思っていたんです。その頃はまだ私が小説を書いてはいなかったので、挿絵を依頼することになるのはもうちょっと後ですね。

――ということは、『クラッシャージョウ』を書き始めた頃に改めてコンタクトを取ったということなんですね。

高千穂  その時に安彦さんに「挿絵を描いてよ」と言ったら、「嫌だよ」と最初は断られました(笑)。いろいろと説得をして最終的には引き受けていただけました。

――安彦さん以外でサンライズで一緒に仕事をされた方の中で印象に残っている方はいらっしゃいますか?

高千穂  監督では長浜さんですね。『ライディーン』は監督が長浜さんに代わってから入ったので、ずっと長浜さんと話をしていまして。長浜さんも私とのやり取りが気に入ったのか、その次に長浜さんが監督された『超電磁ロボ コン・バトラーV(以下、コン・バトラーV)』もメカデザインはスタジオぬえで行くと言っていただけました。その後も『超電磁マシーン ボルテスV』から『闘将ダイモス』まで、ずっと長浜さんとは付き合ってましたね。中でも『コン・バトラーV』では私が技名を決めたり、攻撃方法などいろんなアイデアを出したりしたので、一番深く関わったということもあって愛着がある作品になっています。

――監督や作画の他にサンライズで一緒にお仕事されたプロデューサーなどで印象に残っている方はいらっしゃいますか。

高千穂  当時企画室にいた山浦栄二さんですね。後にサンライズの社長になる方ですが、私が関わった頃にはプロデューサーとしていろいろと動き回られていて。山浦さんからは本当にいろんな話を聞きましたね。サンライズ関係者で私が一番話をした人は山浦さんだと思います。山浦さんは虫プロ出身なので、虫プロ時代の話とか、手塚治虫さんの話なんかもたくさん聞かせてもらって。一方で、企画を立てるにあたってどんな本を読んだらいいのかという相談を受けて、私からいろいろと勧めたりもしました。山浦さんとは真面目な仕事の話ばかりじゃなくて、雑談をたくさんして、その中からいろんなアイデアが生まれていったという感じですね。当時のサンライズという会社は、基本的には外注という形でフリーの監督や演出家、作画の方が多かったので、私にとってのサンライズはイコール山浦さんという印象があります。

――その後、高千穂さんがサンライズとガッツリと仕事をすることになるのは、1983年の『クラッシャージョウ』の劇場アニメ化になるわけですね。

高千穂  そうですね。あれも山浦さんから「『クラッシャージョウ』をテレビアニメか映画にしたいんだけど、どうだ?」って聞かれまして。もちろんすぐに「やってよ」と答えました。そこからスタッフはどうしようかという話になり、山浦さんにどんな思惑があったのかよくわからないんですが、小説で挿絵もお願いしている安彦さんに参加してもらうことになったんです。作業としてはとりあえず、安彦さんが私と一緒にシナリオを書くことになったんです。随分前のことなんで、あまり細かいことは覚えていないんです。ただ、私も若かったということもあって張り切り過ぎて、気が付けばもの凄く深く関わることになってしまいました。

――ということは、当初はあまり深く関わるつもりはなかったということでしょうか。

高千穂  とりあえず、私が声優オタクだったので、最初から声優を選ぶことに関しては譲れないと伝えていました。その部分が一番こだわったところですね。それ以外に関しては基本的にはおまかせで、作画作業が始まって以降は、安彦さんが作業しているスタジオには一度も行っていませんから。映像に関しても途中段階で見たりもしていないので、きちんとアニメーションとして動いているのを見たのはアフレコの時でしたね。

――劇場版『クラッシャージョウ』では、劇中で上映されている映画として『ダーティペア』が出てきます。彼女たちの活躍が描かれたのはどのような経緯からだったのでしょうか。

高千穂  そもそも、安彦さんは『ダーティペア』の方が好きなんです。安彦さんが『ダーティペア』のアニメをやりたかったから、あのシーンを入れているんじゃないですか。私は、シナリオ段階で『ダーティペア』の劇中映画をやるというのは知っていたんですが、それ以上は安彦さんがどんな思いがあったのかはわからないですね。映画は監督のものですし、監督が「こうする」と決めたらそれは絶対ですから。その結果があの映像だったということです。

――話はちょっと戻りますが、小説版の『クラッシャージョウ』に続いて、『ダーティペア』の小説の挿絵も安彦さんにお願いしようと思った理由などはあったのでしょうか。


高千穂  やっぱり、安彦さんの絵が一番合うと思ったからです。小説を書きながら、これはもう安彦さんしかいないなと。それで、小説を書き上げて安彦さんに読んでもらったら気に入ってくれたみたいで。『クラッシャージョウ』に比べると問題なく引き受けてくれました。『クラッシャージョウ』の時は、とにかくやりたくない理由をたくさん言ってくるわけですよ。ペン入れの仕方がわからないとか、スクリーントーンの貼り方を知らないとか。そこで、鉛筆の線を濃いめにコピーして、トーンの貼り方を教えて、背景の宇宙はベタで塗ってホワイトを散らして星に見せるとか教えてあげて。でも『ダーティペア』の時はそれが全部終わった後だったからすんなりと。小説用のキャラクターのデザインは多分安彦さんが担当されて、たまに出てくるメカはこちらで作ったりしていたと思いますね。

――劇場版『クラッシャージョウ』の公開から2年後に『ダーティペア』のテレビシリーズがスタートしますが、こちらはどのような形で話が進んだのでしょうか。

高千穂  こちらの経緯もよく覚えていないんですよね。多分、山浦さんから「今度は『ダーティペア』をテレビでやりたいけどどうかな?」という形で話があったんじゃないかと。

――テレビシリーズでは、キャラクターデザインを土器手司さんが担当されることになりますね。

高千穂  それには理由があって、私はそれまで安彦さんがキャラクターデザインを担当したアニメをたくさん観てきたわけです。その中には当然ながら劇場版の『クラシャージョウ』も入っていまして。安彦さんのキャラクターデザインはとてもいいんだけど、安彦さん自身が作画監督をやらないと、似せて描くのがとても難しいんですよね。今なら安彦さんの絵をきちんと描けるアニメーターが何人かいますが、当時のアニメーターがテレビシリーズで安彦さんの絵をそのまま描き続けるのはすごく難しいだろうという問題があったんです。だから、最初の段階で安彦さんがキャラクターデザインをやるなら、安彦さんに作画監督もやってもらわないと困るという話をしたんです。

――安彦さんがキャラクターデザインはやるけれど、作画監督はできる状態になかったわけですね。

高千穂  そんな余裕はないから作画監督はできないと言われて。安彦さんはキャラクターデザインをやりたがっていて、いくつもラフを描かれたりしていたんですけどね。そんな状況だったので、別の人がキャラクターデザインをする方向も考えて欲しいとお伝えして、サンライズでもいろんなところに声をかけたらしいです。そのキャラクターデザインのコンペの中に土器手さんの絵があったんですね。当時人気があった『うる星やつら』などに近い絵柄で、これだったらアニメーターさんが描きやすくて、安定した作画でいけるだろうと思ったんです。

――土器手さんがキャラクターデザインを担当することになるのは、そういった経緯があったわけですね。

高千穂  ただ、衣装の方がなかなか決まらなくて。そこで、衣装デザインは、以前スタジオぬえに所属していた細野不二彦くんに描いてもらって。衣装と言ってもブーツの形からケイのバンダナ、を含めた髪型など全部なので、キャラデザの基本の形は全部細野君がやっていますね。ちなみに、細野君の絵は土器手君のデザインに比べるともっと大人っぽい感じでしたね。そういう意味では、キャラクターデザインが完成するまでは私がしっかりと見ていました。

<後編>に続く



高千穂遙(たかちほはるか)
1951年生まれ。愛知県出身。小説家、漫画原作者。スタジオぬえ所属。1977年、日本初の本格的スペース・オペラ『クラッシャージョウ 連帯惑星ピザンの危機』で小説家デビュー。代表作に『クラッシャージョウ』シリーズ『ダーティペア』シリーズなどがある。


 

TVアニメ『ダーティペア』40周年記念展

 ・会期:2025年10月10日(金)~ 2025年11月3日(月・祝)

 ・会場:北千住マルイ 7F イベントスペース(東京都足立区千住3丁目92 ミルディスI 番館)

 ・主催:株式会社バンダイナムコフィルムワークス/株式会社エニー

 ・入場料: [一般・当日] 2,100円(税込)
※詳細は「TVアニメ『ダーティペア』40周年記念展」特設ページ<https://www.sunrise-world.net/event/010.php>でご確認ください。